2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧
さよなら のひと言は とても淋しい
くもり空のきょう。まるでこのぼくのこころそのものだ。
やれやれと思ったものの、甘かった。 帰宅後にかならず話をきかせてくれと、念をおされた。
そして大女将との約束の一年がちかづいてまいりました。 瑞祥苑からおひまをいただくために、どう切りだして良いものやらと考えあぐねていたときでございます。
それだけではありません。 自分の資質に疑問をかんじるのは、他人が吐くうそが許せないことなのです。
もう何年前になるでしょうか、生まれ故郷である伊万里市に帰ってみたいなと思いはじめたのは。 きっかけは「まるでちがう街みたいだったぞ」という兄のひと言でした。
その大きな通りには比較的大きな店が多くて、そうそう百貨店もあるのです。 お正月に集まる親戚のおじさんおばさんとともに、お買い物をしたりお食事をしたり、そしていち番の楽しみは屋上での乗り物あそびでした。
社葬が、年が明けた1月の中陣にとりおこなうことがきまった。 場所の選定については五平に一任され、まずは有名神社仏閣をかんがえた。
さよなら、さよなら ただ見つめあうだけで 貴方のこころはわかるの
この雨、きょうで三日目だ。ホントによく降る。梅雨のさいごっ屁か? だけど、どんなに降ろうと、もう晴ればれさ。
いつもの穏やかないち日をえられるはずだった早朝に「コン……コン」と、遠慮がちにドアをたたく音がきこえた。 “こんな朝はやくに、なんの用だ”
先ほどの足下の粗相にしても、他にもございます。 お客さまの歩幅をしっかりと確認して、速からず遅からずでご案内せねばなりません。
でも、でも、なにかがありました。その前に、いつもなにかがありました。 どう表現すればお分かりいただけるか、非常になやんでいます。
わたしには兄がひとりいます。 父親は平成七年に死去しました。 母親はたぶんですが他界しているでしょう。
戦時下の昭和十九年のことです。 早いもので、ふた昔、いえ三むかしということばはございませんね。 そう三十年以上になるのですね。
日本橋の富士商会の玄関口に、黒ぬりで金ぴかの屋屋根をのせた霊柩車が横づけされた。 「会社からの出棺となります。騒がしくさせますが、しばらくのあいだお許しください」
夢を見た。 夢であって欲しいと思った。
こんやも蒸し暑い。天気予報だと、あしたは雨らしい。いいかげんに、梅雨も終わってくれないかなあ。
「人間存在」という問題にしても、そんな気がする。 卓上理論をこねまわしているときが、
ある日のことでございます。 玄関口に置いてある大鏡(なんのための設置なのか、単なる衣装の確認のためかと思っておりましたが)に、女将の目を見たのでございます。 いつものように穏やかな笑みを浮かべておいででした。
「じつは……。もう一点、4Kチューナーをご購入していただくことになります」。 おいおい、話がちがうだろうが。で、いくらするの? という話ですが、これまた五桁の金額で。
まあ、人それぞれでございましょう。これ以上の詮索はやめにしましょう。 ひとつやふたつのシミは、誰しもかかえていることですから。
業者の、 「ご遺体からの死臭のこともありますので、早めにされた方が……。万が一にも腐乱となりますと、お部屋中にしみついてしまいますし……」ということばにも、小夜子は納得しない。
銀の皿をならべたこの川に ちぎり捨てられた レモンの皮
こんやも蒸し暑い。天気予報だと、あしたは雨らしい。いいかげんに、梅雨も終わってくれないかなあ。
異性にたいしても――いや人間にたいしてもそう考えられる。
大女将からのご返事のこと、お伝えしていませんでしたね。 ありがたいお言葉をいただきました。
最後に、音質の説明です。左右はもちろんのこと、上下からも音が聞こえるそうで。 つまり、音に包まれる感覚になるとか。
齢七十となり、チラホラと訃報がとどきます。 若すぎた死をいたむ声もあれば、大往生でしたねと慰める声があります。 そんな中、わたしもそろそろ終活を意識せねばと思いはじめたのです。
「それではみなさま。わたくしの話を聞いていただきましょうか。 もちろん、うそいつわりなど申しません。