そしてふたたび職を求めたとして、あの屈辱の日々をおくらねばならぬのでは? と考えてしまう。
それだけなのか? たしかにミドリは「このままでいい」と口酸っぱく言う。
いっそ入籍だけでも、と思いはするのだが、男の心にためらいがあった。
〝このまま俺のところにしばりつづけるのが、本当にミドリのためなのか?
こんな生活で幸せなはずがない。
いつかはミドリも、それこそ愛想をつかせて離れていくかもしれない。
それが当たり前だ。ミドリならば、自活できるはずだ〟
男の毎月の給料は歩合制のため一定ではない。
おそらくはミドリの半分ほどになってしまうだろう。
ボーナスを考えれば、ひょっとすると、1/3となるかもしれない。
男にボーナスが支給されることなど、おそらくはないだろう、と考える男だ。
しかしそれでも辞めることはできない。
〝ミドリがここを出るとき、戸籍は真っさらなほうがいい。
しかしそれとて、煎じつめれば男のためかもしれない。
バツイチとなることがイヤなのではない。
平井に責められるのではないか、それがイヤなのだ〟
実のところ、ミドリの実家への挨拶すらしていない。
ミドリが拒むのだ。
男にしても、気の乗らぬこともあり、そのままになっていた。
平穏な日々と書きはしたが、おたがいのこころの中では葛藤がそれぞれあった。
ミドリは、男をしばり付けてしまいそうな自分の甘えを責めるこころにさいなまれ、男は、
未だにミドリを生涯の伴侶と思えぬ、自分のエゴに苛まれていた。
どこかよそよそしい空気が流れることもままあった。
ミドリとの出会いから1年が経った。
ささやかなお祝いの食事をすることになった。
「こんやは、はやく帰る。外食しよう」と告げてアパートをでた男だったが、チラシ印刷
のミスが発生し、その事後処理で遅くなってしまった。
午前をまわって帰宅すると、食卓にならべられてあるご馳走のなかで、ミドリはうつ伏せになっていた。
が、男が声をかける間もなくミドリは起きた。少し目が赤い。
「お帰りなさい。ごめんなさい、ウトウトしてしまって」
「いや、ぼくこそ悪かったよ。残業がながびいた」
男は、そんなミドリの健気さがたまらなかった。
もう少し、拗ねてみせるか怒ってほしかった。
そして、麗子ならば…と、未だに比較してしまうおのれが許せなかった。
ミドリは、遅くまでの残業で疲れているだろう男を、眠ったままむかえた自分が情けなかった。
ミドリにしても正社員として働いてはいる。
しかし昼休憩もしっかりとある、残業なしのたかだか8時間だと思っている。